父に
その患者さんL さんはご自分の病気がおわかりになっていませんでした。
壮年期に胆石で胆のうを取った以外健康でした。パーキンソン病の症状がでてきて、そして皮膚が黄色になったことに、ご家族が気づきました。
私がお会いしたときは、黄疸の値が正常の15倍でした。パーキンソン病の症状のため無表情でお話しは殆どされません。質問に何も答えられません。私はLさんに病名などのお話をすることはやめました。
そのとき恩師日野原先生が言われたのです。「患者さんが病名を知っていることが常に必要かというと、そうではありません。真実を知りたくないという時、知ることがその患者さんの状態において難しい時があるのです」「規則は振りかざすものではありません。私たちは常に、患者さんのそれぞれの状況に添って、最もよいと思われる医療を提供しなければなりません。患者さんのことを一番に考えたら、おのずとそのようになりますね」
この言葉と同様なことがありました。
「一番してはならないのは、お役所が決めた規則にがんじがらめになって、患者さんがそっちのけになることですね。これはよろしくないです。医療者は何を優先すべきかを常に忘れてはいけません。緩和医療を受ける患者さんを限定する規則の方が、将来変わっていきますね。医療全体に必要になってきます。もう少し先にね。きっとそうなりますよ」
Lさんはレビー小体という蛋白質が脳にたまる認知症の症状も加わってきました。がんによるものと合わさり、意識に変化が起きます。混乱したり苦しくて夜も眠られません。
驚くことが起きました。毎日60歳台の息子さんが夕方から朝まで同じベッドに休み、Lさんを抱きしめて話しかけて、過ごされます。私はお声をかけました。
「見る見るうちに落ち着かれました。夕暮れから夜中がお苦しかったのです。お父様はおわかりになっているのですね」
息子さんは当時日本を代表する経営者でした。恰幅の良い長身をベッドにうずめるように、スーツがシワだらけになっても平気で、微笑んで言いました。
「小さい頃、父がこうやって、わたしが眠る前に添い寝をしてくれましてね。父は昼間は忙しい仕事人間でしたから。自分があの頃安心して眠れたから、父に同じことをしているだけですよ」
Lさんはそれから数日後いつも息子さんとともに居る夕方、天に召されました。