想う

その患者さんCさんは作家でした。地元の新聞に闘病記が連載されていました。

『病棟では外来患者の電話相談に24時間対応しています。「夜中に痛みが止まらない」私は数回電話をしました。主治医はそのたびに電話で直接指示をくれました。これは患者にとって安心できる有難いシステムです。』

私は聖路加のとき、電話の目の前のソファーで毎晩何年間か眠っていました。そして、恩師も、夜中でも患者さんの連絡をくださいと言われると90 歳台で「はい日野原です」と私からの電話に出てくださっていました。

Cさんはあるとき、深夜から明け方にかけて4-5回お電話をかけてこられました。ご自分の闘病中にご主人も癌になられ、お子さんが障害があり、そのご家族を残して東京で苦しみに耐えている慟哭でした。

痛みは身体だけではありません。全人的な痛みと呼ばれます。

『痛みのあまり、周りを呪い、怒りをぶつけ、毒をまき散らします。痛ければそうなります。』

『痛みがなくなることがこんなにも幸せとは知りませんでした。この世に天国があるとは思いませんが、ここは天国に最も近いところです』

身体の痛みがやわらぐと恩師日野原先生は言いました。「課題を3つ差し上げましょう。立ってください。寝たきりはいけません。そして、今までの人生で一度もやったことのないことを始めなさい。次は愛すること。」

ご自分の心が身体が、前に進んでいくことを勧めていたのです。

Cさんは誰にも代弁できないご自分の言葉で、最後まで作家として、文章を綴り続けられました。

苦痛を抱える患者さんに私ができたことは、わずかですが、その方の苦痛を想えば医療者が耐えることはなにほどでもない、と恩師に教えられました。

相手の身になって、という言葉は医療でなくても日常でよく使われます。実際にはこれほど難しいことはありません。その方を想うことでしょうか。