いちばん
故郷の幼稚園の時から高校まで、幼馴染の友だちがいます。上京して、大人になっても私が仕事で忙しすぎるとき倒れたとき、ずっと励ましてくれました。
家族みんな知りあいの田舎の街です。20年前でした。私は、倒れて休職中で故郷に帰っていました。幼馴染のお母様がとても具合が悪いと聞きました。故郷の国立病院に入院中のお母様は、瘦せられて、声はかすれていました。
私は何度もお見舞いに行きました。医者としては何もできませんでしたが。
昔の話をよくしました。幼馴染はいつも学年のトップで生徒総代でした。ご兄弟も皆そう。でもそんな話は一切されません。よく熱を出したとか。
「いちばんしあわせだった想い出はなんでしたか?」私は伺いました。きっと幼馴染が東大に入学したとき、官僚として外国での話など、人生の晴れがましい話だと思いました。違いました。
「あの子たちが小学生で、学校から帰って、台所でご飯を作る私の周りにくっついてまわって。スカートを引っぱって。おなかすいたよって。あのときが、いちばん、しあわせやった」窓の向こうをみつめて、一言一言、微笑みながら話されました。それがお会いした最後でした。
私も亡き母を想い出すシーンがあります。
小学校に上がる前でした。夕食も昔ですから住み込みの従業員さんたちと一緒に食べます。その後も、母は忙しそうにしていて、私はお手伝いさんとお風呂に入り別の部屋で7PM にいつも眠っていました。でも、ある日だけは、土曜だったのでしょうか。夕食のあと、姉がピアノを弾いて母といっしょにNHKのみんなのうたを歌います。母が椅子の上で私をだっこして歌ってくれるのです。
「アイスクリームはつめたいね、あーまいね、のどを音楽隊がとおーりーまーす。ぷかぷーかどんどん、、、」
その日の夕食後はずっと母は私のそばにいてくれました。その時間をどんなに待っていたでしょう。
あれから60年経ってもNHKのみんなのうたは放送されています。聞くといつも私がいちばん待っていたあの時間を想い出します。