夕暮れに

今世界中で、感染症が拡大し続けています。

医療は感染症との闘いの歴史でした。

私の父は、抗生物質ができる前に骨髄炎になり、身体障害者になりました。

そして私が幼い頃、父は医者として結核の病院をつくり患者さんを診ながら鳩の糞から薬を研究していました。私は近所の子に「うつるから近寄るな」と言われたものでした。

感染症の不安の中にいると、誰もが自分のことで頭がいっぱいになります。

20年前に大学病院で私は、不治の病の狂牛病と同じプリオン病のCJ病の患者さんを受け持ちました。感染して苦しんで死にいたるこの病気に、医療スタッフは皆が担当になることから避けました。私が主治医と決まり看護領域も含めて私がひとりで担当したのでした。

稀な感染症ですからご家族はしばらくどうしてよいかわからないご様子でした。いつもベッドの傍にご主人が付き添われていました。

あるとき、「母ちゃんに何が起こっとるんじゃろう」とつぶやいてぼうっと空を見つめてました。

私は何の言葉もかけられませんでした。その時の御主人の表情は今も忘れられません。

私は患者さんのお世話や汚物処理、針電極脳波や筋電図など、患者さんの命を無駄にしないように医学的資料を残すために、検査も深夜まで行っていました。

そして、ひと月もしいないうちにその患者さんが亡くなられた時、私ははっと気が付きました。

患者さんのお世話をする事、病気を診て調べる事でいっぱいだった私は、患者さんに何度一人の人間として接することができていたでしょうか。ご家族の苦しみをゆっくり聞いて差し上げたことがあったでしょうか、と。

今も思い出して、祈ります。

矢内原忠雄先生がご著書(1964年)の中で、旧約聖書のヨブ記に登場する苦難を負うヨブについて述べた言葉を想います。

「神はわが罪を許して、心に平安を賜り、苦難をさえ解消して、われに再び喜びの日をかえして下さる。」