今の

その患者さんGさんは、入院した後も行方のわからないご主人を探していました。

一度は地方のコンビニの監視カメラに写っていた、と聞き探しました。見つかりませんでした。Gさんは、積極的な治療をしたく無い、と気持ちとともに身体も弱るばかりでした。

数日後、無事にご主人は帰ってきました。

再会を果たし、毎日病室で過ごすようになりました。しかし。ご主人はそれまでの自分を責めて苦しみました。夜中にシャワーをかけ続けて倒れたり。大声をだしたり。お酒を浴びるように飲まれたり。

そうしているうちに、突然ある時から、ご主人は写真を撮るようになりました。

壁いっぱいに用紙を張り、撮った写真を貼り付け始めました。Gさんがベッドから見えるように大きく広げます。ご主人かGさんが一緒に写っています。毎日何枚も何枚も増えていきます。

写真には、ひと言ずつGさんの言葉が添えられていました。

そして、壁いっぱいの写真の一番上には大きな文字で、「今の友たち」と書かれていました。庭でボランティアさんが摘んでくれたスイトピーも、今の友。そのボランティアさんも今の友。食事の具合はどうですか?と病室に来てくれた栄養士さんも今の友。医者である私も医者である前に今の友、だったのです。

Gさんは過ぎてしまった時間でなく、限りある時間でもなく、今、を新しく、ご夫婦で生きていらしたのでした。

ある日の夕方、ご夫婦で窓際に並んで、少しのワイングラスを前に本を読んで差し上げていたときでした。それはGさんが迎えた、ご主人が気が付かないほど静かな穏やかな最後でした。

自宅の小さなソメイヨシノ

画像は、通勤駅前にある八重桜です。気づくと身近にありました。桜は咲き誇るのは年に数日だけですが、私たちはずっと忘れることはありません。