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「海」という文章をご紹介します。

私とある患者さんのひと時が書かれています。

2006年に出版されたこの本は日経新聞書評で絶賛されました。著者に許可を得て書き写しました。お読み頂けたら、この患者さんも私もうれしいです。

「海」    P51-52

大分県の海の近くの温泉町で育った市丸はピアノの演奏家になるのを夢見ていた。子供の頃から高校生まで懸命に夢の実現のためにレッスンに励んだ。開業医の父の希望で医師の道を選んだが、ピアノは今の生活と切り離せない。

忙しい業務のなかで、患者にピアノを弾く機会は滅多にないが、稀に患者のリクエストに応えるときもある。車椅子で初老の男性をつれていたときだった。老人は肺がんを患っていた。それと判明した時はすでに手遅れで、ホスピス病棟に入ってからも発見の遅れを悔やみ、抑うつ状態と興奮状態が繰り返された。がんは全身転移すると脳転移がなくとも、意識低下に至る過程で錯乱が起こる。

男性は聖路加国際病院の近くの土地の育ちである。東京湾で採れた海産物を家内工業し、早朝から外商にでかけ、妻と長男夫婦が店をきりもりしていた。

ある日、看護師の手がないときに、市丸はその男性を車椅子で院内の散歩に連れ出した。晩秋の木々が色づき始めた庭園で、空をみあげるうちに、次第に男性の心が和み、ふだんの険しい顔も柔和な表情に包まれた。木々の名前を呟いては幹を触るほどの穏やかなひとときだった。

その後、祈りのためにトイスラ―ホールのチャペルに車椅子を移動させたとき、老人は備えつけのグランドピアノに目を遣った。日野原理事長が寄贈したものだ。

じっとピアノを見つめる老人に市丸は、「ピアノでも弾きましょうか?」と訊ねた。

老人は黙ってうなずいた。

市丸は車椅子をピアノの傍らに停めて、ピアノの椅子に座った。

「お好きな曲を言って下さい。演奏しますから」

老人は、か細い声で「うみ・・・・」と呟いた。

「海」ですか?

市丸が演奏を始める。弾きながら老人の口元を見ると「海は広いな、大きいな・・・」と動かすのがわかった。市丸はそのまま演奏を続けた。子供の頃、東京湾の沿岸部でアサリを拾った記憶を患者はたどったのではないだろうか。臨海副都心で埋め立てになる以前の美しい海、市丸もまた故郷の海を思い描き、胸が詰まった。市丸が幼い頃、海が荒れつづけると、開業医であった父の所に診療費代わりにバケツにいっぱいの蜆や青海苔を入れて持ってきた漁師の姿が甦った。

ホールには、「海」をピアノの弾き語りで歌う医師と終末期のほんのわずかしかない穏やかな時間をともに過ごす患者の声なき歌声が響きつづけた。