明日また

世界中で日本各地で、感染が拡がっています。漠然とした不安と緊張が消えません。

どの時代でも、病気のかたは奇蹟を信じて闘っています。

そのかたは、新聞社の社会部の記者として時のロッキード事件やオウム事件にかかわられ多くの著書がありました。がんとわかってからも「原稿を書く」ことを諦めませんでした。

抗がん剤の治療を続けながら、症状を緩和する私の外来や入院に加えて、多くの療法をされていました。信者だったキリスト教の祈りと仏教の祈祷、手かざし、気功、自然食事療法、自然免疫療法、温灸など。

恩師日野原重明先生は、患者さんに言いました。「その治療に、希望を持って受ける事が出来るなら何でもおやりなさい。病院の中でやってもいいですよ。外出して行ってもよいですよ」

私には「何の治療かを全部きちんと把握して下さい。副作用のあるもの、体力が落ちるもの、常識を超えて高価なものは、ゆっくりお話を聞いて止めてください。いのちをお預かりしているのは私達ですから。」と言われました。

一時は、腫瘍マーカーが劇的に下がり免疫力を示すリンパ球の値も増えていました。痛みなどの症状も落ち着き、会社の近くに引っ越して復帰されました。

大学病院で予想された余命を越えて、仕事をしたい、意志を貫かれました。

春を迎え夏になってからは、入院されて少しずつペンを持つ力も弱くなってきました。

「A さん、何か書いているんですって?見せてくださいね。明日また来ますよ」
日野原先生は診察のときにお約束されました。Aさんは意識が薄れかけていましたが、翌日の夜、日野原先生がお声をかけると、はっきりと目を開けて微笑まれました。そして、その夜が明けるころ、天に召されました。

どんなときも、希望によっていのちはつながれると、感じています。

「羽化の刻」1988.市丸節子