忘れられない患者さん

ひとすじ 忘れられない患者さん

ひとすじ

私の父は8歳で感染症にかかり、抗生剤のないときで骨髄炎になり、びっこになりました。小さい頃「お前のとうちゃん変な足」といじめられました。私は小さい時から父の靴下を履かせるのが朝の日課でした。 「脚悪きわれの今でも見る夢は運動会で走る夢」父の晩年の俳句です。 父の骨髄炎は亡くなるまで毎年梅雨の頃、高熱…
明日また 忘れられない患者さん

明日また

世界中で日本各地で、感染が拡がっています。漠然とした不安と緊張が消えません。 どの時代でも、病気のかたは奇蹟を信じて闘っています。 そのかたは、新聞社の社会部の記者として時のロッキード事件やオウム事件にかかわられ多くの著書がありました。がんとわかってからも「原稿を書く」ことを諦めませんでした。 抗が…
傍にいてほしい 忘れられない患者さん

傍にいてほしい

駅までの道に銀杏の葉が落ち始めました。12月になったと感じます。もう一年の最後です。 「愛する人が傍にいてほしい」 健康な30-60歳台の男女のどんな人生の最後を迎えたいかという質問への答えです。多くの人にとって、叶えることはなかなか難しいのが現実です。 その患者さんは私の5歳からの幼馴染でした。当…
ありがとう 忘れられない患者さん

ありがとう

その患者さんD子さんは10歳台のお子さん3人のお母さんでした。 進行した胃がんが見つかって2年後経ち、痛みと吐き気を抑えるための入退院を繰り返していました。 授かった最初のご長男は軽い知的障害を持っていました。D子さんは私におっしゃいました。「こんな時家族みんなが長男の笑顔で救われます。だからずっと…
あるノート 忘れられない患者さん

あるノート

その73歳の男性は治らない癌のために気管切開をして声をだすのが困難でした。私は毎日ノートに筆談をして会話をしました。当時の許可を得て、筆談をご紹介します。 入院1か月目。「苦しい」「牢獄だ」「一日中何に向かっていきているのか」「24時間暗黒の中で生きられない」「これ以上苦しめるのはやめて」「どうして…
花言葉 忘れられない患者さん

花言葉

私が20年前に出会ったのは、まだお子さんもいない仲の良い若いご夫婦でした。 御主人が癌で入院されていました。毎日昼過ぎになると奥様の運転で、ドライブに行かれるのが一番楽しいひとときでした。ある夕方ドライブの後お昼寝をされて目が覚めた時、私は急にお部屋に呼ばれました。興奮状態になっていました。 「私が…
ショートケーキ 忘れられない患者さん

ショートケーキ

私が幼い頃まで、実家の病院には結核の患者さんが石垣の塀で囲まれたなかで入院生活をされていました。 お母さんと一緒に生活していた同じ年頃の男の子と、よく庭でかくれんぼをしました。 色の白い優しいお姉さんとは、病室と塀の間に咲くおしろい花を摘みました。丸い実を割ると白いおしろいのようなものがあり、お姉さ…
光りに包まれて 忘れられない患者さん

光りに包まれて

忘れられない患者さんがいます。 今から20年以上前です。 私はある病院で重症のホームレスの方を診ていました。戦後、結核にかかった子供たちのために建てられた病院に、ホームレスの方のための収益無しの五十人の病棟があったのです。入院された方は五日間は毎日身体を洗っても汚れと臭いが取れません。自力で歩ける方…
さようなら 忘れられない患者さん

さようなら

那須の友人が雲の写真を送ってくれました。何に見える?と聞かれ、とっさに「ぎょうざ」というと「座布団1枚」と返してくれました。宇都宮だから? 20年以上前に数年間、私は宇都宮に住んでいました。そのとき、とちぎYMCAでボランティアをしていました。 栃木ホスピス運動をすすめる会、という1987年にできた…
夕暮れに 忘れられない患者さん

夕暮れに

今世界中で、感染症が拡大し続けています。 医療は感染症との闘いの歴史でした。 私の父は、抗生物質ができる前に骨髄炎になり、身体障害者になりました。 そして私が幼い頃、父は医者として結核の病院をつくり患者さんを診ながら鳩の糞から薬を研究していました。私は近所の子に「うつるから近寄るな」と言われたもので…