忘れられない患者さん

だから 忘れられない患者さん

だから

Bさんは20年前、20歳代でカルフォルニアに住んで仕事をしていました。食べ歩きが好きだったのでアメリカにいる間に、60㎏台だった体重が100㎏を越えてしまいました。 ダイエットをして、30歳過ぎで帰国時には80㎏代でした。ところが日本でも食に関係した仕事を任されたので、フランス料理やイタリア料理と高…
83歳の父から 忘れられない患者さん

83歳の父から

体重が100㎏ある55歳のS子さんは、10年前は60㎏でした。10歳代はハンドボール、社会人ではフットサルをしていたスポーツ好きでした。 ところが50歳頃、更年期に入り太ってきて、走るときに膝が痛いと思ったら、80㎏になっていました。慌てたS子さんは、流行りの急激に痩せる会に入り、数か月で60㎏に戻…
そのころ 忘れられない患者さん

そのころ

日本医師会雑誌の巻頭座談会に出た際、掲載された写真、20年前の私です。今から約20㎏太っていました。 ほぼ毎日、夜間に病院から電話がかかります。その後病院に向かいます。週の半分はそうでした。終電に間に合った日も始発までにまた病院に呼ばれて行ったものでした。休暇はなく年末年始も病院にいました。 いつも…
笑顔って 忘れられない患者さん

笑顔って

Aさんは都下の駅に隣接する高層マンションに、ひとりで住んでいます。財務省のお役人だったご主人にがんが見つかったのは、退職の直前でした。3年間の闘病のころから、A子さんは胸に痛みが起こるようになりました。 仲の良いふたりだったのでご主人が亡くなってからは、胸の痛み、動悸のほかにも、のどの詰まり感が毎日…
変わられるもの 忘れられない患者さん

変わられるもの

2020年の春から、私たちの生活は変ってしまいました。 Y子さんは、外資系のマーケテイングリサーチ会社の広報の仕事。多忙なときは週5通勤もありましたが、多かった海外への出張も全くなく、ほぼテレワークでずっと家にいるようになりました。 50歳代にみえない若々しく、仕事をバリバリこなすY子さんが、銀座四…
闘いは終わった 忘れられない患者さん

闘いは終わった

Hさんを初めてエレベータまでお迎えに行ったとき「ここに入れて安心しました」と仰り、微笑んで握手を求められました。そのときから、最期の時まで、一度も「苦しい」などの訴えを聞きませんでた。考えられないことです。 当時のご家族の許可を得て記載させていただきます。 Hさんは駐英大使を最後に退職されてからは執…
いちばん 忘れられない患者さん

いちばん

故郷の幼稚園の時から高校まで、幼馴染の友だちがいます。上京して、大人になっても私が仕事で忙しすぎるとき倒れたとき、ずっと励ましてくれました。 家族みんな知りあいの田舎の街です。20年前でした。私は、倒れて休職中で故郷に帰っていました。幼馴染のお母様がとても具合が悪いと聞きました。故郷の国立病院に入院…
母の日 忘れられない患者さん

母の日

数年前に亡くなった母は、生きていたら95歳です。 母は名古屋の女子医学専門学校の最終学年の夏、終戦になり、九州の故郷に帰ってきました。故郷は駐留軍に占領され、母は祖母と、山を幾つも越えた遠い村に疎開したのです。そうして、母は故郷で半年後に結婚しました。一度会って二度めが結婚式だったそうです。 女性の…
父に 忘れられない患者さん

父に

その患者さんL さんはご自分の病気がおわかりになっていませんでした。 壮年期に胆石で胆のうを取った以外健康でした。パーキンソン病の症状がでてきて、そして皮膚が黄色になったことに、ご家族が気づきました。 私がお会いしたときは、黄疸の値が正常の15倍でした。パーキンソン病の症状のため無表情でお話しは殆ど…
今の 忘れられない患者さん

今の

その患者さんGさんは、入院した後も行方のわからないご主人を探していました。 一度は地方のコンビニの監視カメラに写っていた、と聞き探しました。見つかりませんでした。Gさんは、積極的な治療をしたく無い、と気持ちとともに身体も弱るばかりでした。 数日後、無事にご主人は帰ってきました。 再会を果たし、毎日病…