忘れられない患者さん 15 3月 2021 伝える 10年前の3月11日、東日本大震災が起こり、福島原発から白い煙が出ているのを見て私は息をのみました。患者さんTさんが私に言われた言葉を想い出したのです。 当時頂いたご家族の許可に添って伝えたいと思います。震災後、核科学者であるTさんが1995年に福島第一原発事故をただ一人「想定」していた論文を書かれ… 続きを読む
忘れられない患者さん 26 2月 2021 居酒屋 その患者さんQさんは生粋の江戸っ子で長年大工として腕を振るってきました。健診で見つかった胃がんを手術した後、半年ごとに3回、転移による腸閉塞を起こして、食事が摂れなくなりました。 「お腹が張った痛みと吐き気を摂ってほしい、それだけですよ」と無口で投げやりでした。お薬でそれがとれると「正月は、ちょっと… 続きを読む
忘れられない患者さん 8 2月 2021 いつか コロナ感染が世界中で広がり始めて、1年以上が経ちました。世界の多くの国々で、感染は治まっていません。ロックダウンの国があります。 医療者としては、自身が細心の感染防止をして日常を暮らしています。診療するときに、感染に関して患者さんを護るように必死です。 でも、患者さんお一人お一人に相対すると、皆さん… 続きを読む
忘れられない患者さん 25 1月 2021 想う その患者さんCさんは作家でした。地元の新聞に闘病記が連載されていました。 『病棟では外来患者の電話相談に24時間対応しています。「夜中に痛みが止まらない」私は数回電話をしました。主治医はそのたびに電話で直接指示をくれました。これは患者にとって安心できる有難いシステムです。』 私は聖路加のとき、電話の… 続きを読む
忘れられない患者さん 3 1月 2021 ひとすじ 私の父は8歳で感染症にかかり、抗生剤のないときで骨髄炎になり、びっこになりました。小さい頃「お前のとうちゃん変な足」といじめられました。私は小さい時から父の靴下を履かせるのが朝の日課でした。 「脚悪きわれの今でも見る夢は運動会で走る夢」父の晩年の俳句です。 父の骨髄炎は亡くなるまで毎年梅雨の頃、高熱… 続きを読む
忘れられない患者さん 18 12月 2020 明日また 世界中で日本各地で、感染が拡がっています。漠然とした不安と緊張が消えません。 どの時代でも、病気のかたは奇蹟を信じて闘っています。 そのかたは、新聞社の社会部の記者として時のロッキード事件やオウム事件にかかわられ多くの著書がありました。がんとわかってからも「原稿を書く」ことを諦めませんでした。 抗が… 続きを読む
忘れられない患者さん 30 11月 2020 傍にいてほしい 駅までの道に銀杏の葉が落ち始めました。12月になったと感じます。もう一年の最後です。 「愛する人が傍にいてほしい」 健康な30-60歳台の男女のどんな人生の最後を迎えたいかという質問への答えです。多くの人にとって、叶えることはなかなか難しいのが現実です。 その患者さんは私の5歳からの幼馴染でした。当… 続きを読む
忘れられない患者さん 16 11月 2020 ありがとう その患者さんD子さんは10歳台のお子さん3人のお母さんでした。 進行した胃がんが見つかって2年後経ち、痛みと吐き気を抑えるための入退院を繰り返していました。 授かった最初のご長男は軽い知的障害を持っていました。D子さんは私におっしゃいました。「こんな時家族みんなが長男の笑顔で救われます。だからずっと… 続きを読む
忘れられない患者さん 2 11月 2020 あるノート その73歳の男性は治らない癌のために気管切開をして声をだすのが困難でした。私は毎日ノートに筆談をして会話をしました。当時の許可を得て、筆談をご紹介します。 入院1か月目。「苦しい」「牢獄だ」「一日中何に向かっていきているのか」「24時間暗黒の中で生きられない」「これ以上苦しめるのはやめて」「どうして… 続きを読む
忘れられない患者さん 19 10月 2020 花言葉 私が20年前に出会ったのは、まだお子さんもいない仲の良い若いご夫婦でした。 御主人が癌で入院されていました。毎日昼過ぎになると奥様の運転で、ドライブに行かれるのが一番楽しいひとときでした。ある夕方ドライブの後お昼寝をされて目が覚めた時、私は急にお部屋に呼ばれました。興奮状態になっていました。 「私が… 続きを読む